tofubeatsの「RIVER」がもはや芸術作品

 

「遠い存在になってしまった」

 

売れない時代から応援していたミュージシャンや芸能人が売れっ子になった際にファンが用いる身勝手極まりない常套句。

これって、結局のところ独占欲からくる言葉だと思っていて。

ミュージシャン、芸能人が望んでいる方向性かはともかく、売れるっていうのは本人からしたら自身の活動が認められた何よりの証拠だから、一ファンとしては素直に喜べよと良いものは世に知られるべきスタンスの俺としては思っています。

 

が、9月3日に公開されたtofubeatsの「RIVER」を聞いた時には思わず

 

「遠い存在になってしまった・・・」

 

と呟きました。まさ自分がこの言葉を言う時がくるとは。

tofubeatsの音楽性が変化しつつあることは「RUN」が公開された時に書いた通りなんですけども。この時、自分はよりパーソナルな方向性に向かっていると思っていました。

 

www.daisukipiopio.work

 

が、「RIVER」は全くの真逆。

寝ても覚めても愛はとめどなく流れる」、ふたりの愛は流れる川のようです」、「一度生まれた愛は二度と消えることなく空と海の間をまわる」と普遍的な歌詞が綴られています。

初めて聞いた時、「こ、この域に到達したかtofubeats・・・」と脱帽しました。ま、もちろんtofubeatsが恋愛をテーマにした曲というのはこれまでにもありますけども。

ですが、例えば「No.1」の「君の一番になりたい そう思ってるけど 12時を指す時計が別れを告げてる」みたいに心理的に近い内容が主だったんですよね。まあこれは5年前の曲ですが、今年リリースの「ふめつのこころ」もそんな感じ。

そんなtofubeatsがまさか愛を川になぞらえ、しかも沁み入る歌詞を書くとは・・・。

よりパーソナルな方向に向かっていると思っていたのですが、訂正。あれですね、心理的距離を自在に操れるフェーズに入ったってことですね。

いや、それやばすぎんかtofubeats。お前の持ち味は2017年にプロデュースした向井太一の「Siren」みたいに新旧の音楽を自己流に昇華する圧倒的な音楽的素養のはずだろ。作詞能力までその域に達したらもう敵いないじゃん。河合佑亮名義で作詞提供し出すやつやん。

しかも、しかもですよ。構成も一味違うんですよ、この曲。

邦楽のよくある流れとして「Aメロ→Bメロ→サビ→Aメロ→Bメロ→サビ→Cメロ→サビ」ってのがあるじゃないですか。

これに対して「RIVER」は「Aメロ→サビ→Aメロ→サビ」という流れ。

しかも一番のサビは音数がほとんど増えず、二番のサビでどん、という超シンプルな構成。

あくまで素人予測ですが、これってまさに下流になればなるほど太くなる川を表していると思うんですよね。だから1番のサビと二番サビの音数に大きく差をつけたんじゃないかと。

極め付けは曲が終わって一瞬聞こえる音。4分29秒に集中してください。

 


tofubeats「RIVER」

 

曲の終わり際に流れる「カチッ」というカセットテープのスイッチ音。普通に考えたらタイミング的に終了ボタンを押した音。

なんですけど、映像と照らし合わせて考えると違和感があるんですよね。

スイッチ音がするまで夜景が映されていて、音と共にブラックアウトするっていうんだったら終了音だってわかる。だけど、MVを見てみるとスイッチ音と共に画面が明るくなるんですよね。

「どういう意味?」とぐるぐる考えてたんですけど、100回リピートして結論に達しました。

これ、終了音じゃなくてスタート音だ、と。

つまり、このスイッチ音によってエンドレスリピートを表現してるんじゃないかと。

そしてこの曲のテーマの川も延々と流れ続けるもの・・・。

 

・・・ヒェ〜ッ!いやもう、完全にアートの域ですやん。「マジ勉NOW!」で「べんきょお〜、べんきょお〜、べんきょ〜うおうお」って言ってたtofubeatsはどこ行ったんだよ。あなたが神か。ううおお・・・改めて書きますが遠い存在になってしまった・・・。

いやしかし、「RUN」、「RIVER」これらの曲が収録されてるってだけでもう名盤確定なのに、10月に出るアルバムは果たしてどんくらいのもんに仕上がるんでしょうね。いよいよもって待ちきれん。まじでSoundCloudに間違って音源流出してくれtofubeats

 

 

 

RIVER

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